昭和四七年六月二六日


御理解第十六節
「無情の風は時を嫌わぬと云うが、金光大神の道は、無情の風が時を嫌うぞ」


昨日は日曜でしたから、特別奉修委員の方達の御祈念が御座いました。その後に私、皆さんに聞いて頂いた事なんですけれども、例えばおかげを受けるとか、まあ合楽の場合なんか本当に、一分一厘の間違いの無い働きの中に、おかげを受けておるなあと、実感しなければおられない程しのおかげを、日々頂いておる訳であります。
 そういうおかげを受けておるのですけれども、例えば泰子のお国替えと云い、又お国替えの時期と云い、日頃私が云うておる事とは言わば裏目に出ておると云う事です、例えば今日の御理解頂いとりますと、無情の風に時を嫌わす事が、もうそれこそ、みんなの切なる願いに反して、まあ裏目に出ておる、いわゆる無情の風を無情の風と、そのまゝ受けてしまって。
 私がいつも申しますように、金光様の御信心をさせて頂いておりゃあねえ、そらもう有難い事よ、生まれる時から死ぬる時まで、勿論その中もおかげなんだけれども、生まれた時だってもう必ず、夜夜中どうといった事はないよ、例えば田舎であるならば農家の暇な時、その合間をぬう用にしてから、生まれるおかげを頂く、又死ぬるでもそうだよと云うて、又事実おかげを頂いておりますね合楽では、ところが今度は、泰子の場合はそれを愈反対なんです、もう今椛目辺りは田植えの真っ最中と云う時に、それに矢張りあゝして門内の方達があゝして沢山、しかも夫婦で御用に出て頂いてもう本当に、気の毒この上もない事になっております。
 本当にまあだ満二十五才を迎えたばっかり、しかも結婚してようやく半年と云う時に、何とか神様も、それこそこういう時に無情の風に、時を嫌わして下さればよかりそうなもんだとこう思うのですけれども私がいつも云っておりますように、確かに金光大神の道は無情の風に、時を嫌わされる程しの道だと、金光大神の御威徳というか、金光大神が天地金乃神様からお受けになっておられるおかげというものは、もう天地の神様でも運命なら仕方がない、と云われるところでも、金光大神の御神徳によつたら、その運命が変えられる、云うなら無情の風が吹いてきよっても、向うに吹きやる程しのおかげが頂けれるのが金光大神の道だ、と云うておかげを頂いてきております、みんな、ところがそんなら私の、今度の姪の場合は、それとは時期の上に於ても反対、死ぬる生きるという事に於ても反対、どうした事だろうかと、まあ言いたいところですけれども、私はね、もう人間の知恵力で分かり得る事ではない、もうそれこそ神様の深い深い深あゝい御神慮あっての事なのだから、こういう間違いのない、一分一厘間違いのないと思われる程しのおかげを、合楽で分からしてもらい、感じさしてもらっておるけれども、それが出来なかったという事は、神様のお働きの中に。もうそれこそ、よくよくの事であったに違いない。
 いや、よくよくの事ではない、これは夢にも思わないようなおかげが、又は力を落させてと普通では言うけれども、この際力を拾わせたいと言う、神の願いを感ずると、お礼を申し上げねばおられんと、だから、私、大坪、池尻のまあ、悲しみの底に云うなら突き落とされたような感じですけれども、これは私だけでも、これは、さらさらとした有難い、又事実そうなんですから、もうお礼を申し上げるより他にはないと、神様にお礼を申させて頂く以外にはない、という事を昨日私、特別奉修委員の方達に聞いて頂いた。
 例えて云うなら、完璧なおかげが百であるとするならね、合楽の場合は、まあ九十位は頂いておるんだと、あと残りの十という所に私共の思いのおかげと、普通で云うおかげでないような事柄の中にです、もう愈神様の深い御神慮がある事なのだと、深い御神慮のところを、私共が大して行かなければならない、そこを頂いていくと云うことが信心だと、例えば百のうち九十神様のおかげ、信心頂いておるおかげでと云うような、例えばおかげを頂いておって、そんなら後の十が例えばそれこそ、目の前が真っ暗になるような事が、起ったと致しましてもです、その十のところこそ大事にしなければならないのだと、何故って、そこが一番例えば信心しておっても、どげん考えても、ふに落ちない、日頃の合楽の信心から云うと、ふに落ちない、そのふに落ちないような時程、そこんところを大事にしなければいけない、そこが実を云うたらもう、とてもとても計り知れない、神様の御神慮の中にあっての事だから、と云う事を私は聞いて頂いた、だからそこんところを、例えば私共の場合は沢山の体験からね、申しておりますように。    
 昨日も告別式の時に、伊万里の竹内先生が弔辞を読んで下さった中に、もう本当に、最近親先生が仰る偶然と自然の一致の素晴らしい事、と云うほどに、合楽ではおかげ受けておるのですよ、もう本当、偶然と思わなければおられない程しのおかげが、自然の中におかげを受けておる。
 まあその事のひとつとして、この二十三日は伊万里でも月次祭を仕えさせて頂いて、夜の御理解をテ―プで頂かしてもらいましたら親先生が令弟のとこう云っておられましたが、私の方の弟の戦死した時の受け方、受け心が私は力を受けたんだろう、今日の合楽があるのは弟の、例えば戦死という悲しい事がその原動力、その元になっておるのだと、云う話を聞かせて頂いて、例えば今度、泰子さんが亡くなったと云う事については分からない、分からないけれども深い御神慮のあっての事である、という意味の事を、のべておられましたですね、そういうまあ話を聞かせて頂いて、お話させて頂いてから、終りましてからでした、久留米の佐田さんが、只今特別奉修委員の御祈念をさせて頂いておる時に、お知らせを頂いたと云われるのに。はがまから おひつにね、御飯をおちるでしょう、あれはおちると申しますですねえ、移すとは申しません、御飯をおちるというのにですね、只移すと云うのではなくて。
 「御飯がおちる、おちる」と頂かれた。御飯という事はまゝになるおかげと、私共がいつも願いに願ってやまないのは、本当にまゝになるおかげを頂きたい、病人ならば全快のおかげを頂きたい、金銭の不自由しとるなら、金銭のお繰り合わせを頂きたい。これがまゝになるおかげなんだ、ところがその、まゝになるのが反対に、御飯がおちる、おちると、こう頂かれた、そしてその次にです、追い羽根をしておるところを頂かれた、正月に女の子がしましょう、羽根をつく時に、そして御理解にね、頂いておられるのが、羽根をつくという事がね、これが絶対落ちないものであったら、もう羽根つきの楽しみは無いと頂いておりますね。
 それはそうですよねえ、羽根をつかせて頂いて、もう絶対落ちないと云うなら、こげん味気の無いものは無かろうと思う、だあれもしませんよ。
 信心でもそうです、自分のまゝになるという事が、自分の願いが成就しないという おかげを落すという事、この事も有難い事であり又は、その羽根じゃないですけれども、これが落ちないのだったら、もう信心しよりゃ、み―んな億万長者になる、とても健康で、もういつ迄でん死なんちゅうごたるなら、もう、どんこん出来んです、死にもすりゃあ、本当に御比礼もけがすような事が起きたりもするけれども、そこがあるところが信心の一番有難いところ。
 日頃は八十も九十も、間違いの無いおかげを、それこそ自然と偶然が一致と思われる程しの、おかげを頂きながら、その例えば十のところにです、それこそ思いもかけない事が起ったり、言わばおかげを落したと思われるような事になるのだけれども、そこんところに、もう深い深い御神慮がある、思う通りにおかげを下さる以上のおかげがある。その深さのところをです、云うならば信心しておっても、どうしてそんな事が起るだろうか、と云う腑に落ちないという時程、愈大事にしなければならない。
 次の十七節にね、「神の綱が切れたと云うが神からは切らぬ、氏子から切るな」と仰るように、信心しておってもこのような事が起ったんだと云うて、神の綱を切るような事をするなと、こう云う。いやそこんところを、むしろ むしろ大事にしなければならないんだと云う事。
 私はその御理解を説かせて頂きながら、同時に佐田さんの御理解と併せて頂いてね、私は又他の事も色々お話したが、それとこれと併せてみて、もう本当に神様の知恵をもってお示し下さらなければほんに合点がいかんと思いました。
 それは合点のいかんようなおかげだけれども、その事自体がね、信心であゝそうどころじゃなかろうと、合点がいく訳なんです、ほんなこてそう、羽根つきじゃないけれども、あれが絶対落ちないとするなら、もう羽根つきの楽しみはないのだと、ちょっと間違ったら落ちるところに、羽根つきの楽しみがあるのだ、まゝになるおかげを、言わばはがまから、おひつに移すという事をおちると云う。それを「御飯がおちる、おちる」と云う事を頂かれ、いわゆる移すという事ではなくて、落すという意味に頂かれた。
 まゝになる事が反対に、まゝにならなかったという意味の事を頂かれて、その事がいかに御神慮が深いかと云う事をね、悟らしてもらわなければならない、その御神慮に応え奉る信心が、愈出来なければと云う位。
 私昨日まで皆さんに申して参りましたように、本当にもう、私一人位お礼を申し上げてと、こうまあ、でしたけれども、私今朝から御祈念させて頂きながら、昨日は丁度その前の日が火葬祭、出棺という、両親も最後の別れだから、昨日行きたいと云うて、もう着物まで着替えたそうです、ところが父の方はもう、足があんなに弱いものですから、ここ迄も出てこられません、ですから足がよろよろする、とてもこげなこつじゃあ行かれんばいと云うてから、「そんならばあさんお前だけ行け」と云うて、私がこゝ下って行きよりましたら、もうそこまで出て来とりました。
 ところがもう時間が無い、もう後三十分しかないと云うて、ざわざわしとる時でしたから、「おばあちゃんあゝた今から行ったっちゃ、もうそれこそお棺に泣き縋らんならんような事ばい、ゆっくり拝むことも出来んとよ、それよりか毎朝晩あゝして出て来よってから、あのにこにこしとった顔を自分の心の中にね、頂いとったが一番いゝよ」と。他の者もそう云うたけれども、いゝや行くと云うて行きよりましたけれどもね、私がそげん云うたもんじゃけん、そんならと云うてから、ひっ返してから参りませんでした。
 その事がやっぱり心残りだったらしいのですよ、それでもう何回となしにお広前に出てくるのですよ、そして「金光様有難う御座います有難う御座います」と云い乍ら、矢張り悲しんどるのを見せて頂いてです、これは私だけお礼申し上げよるばってん、これは本当にお詫びもしなければいけないなあと云う事を、今朝から気付かせて頂いた。
 と云うのはです、これは人間じゃけん、そん位な事は当り前と云わずに、人間生身を持っておる事ですから、どこにお粗末があるやら、御無礼があるやら分らん、金光大神は、無情の風に時を嫌わす程しの、おかげを下さる事が出来るのに、それが頂けなかったという事は、例えば百の内九十おかげ頂いとって、十で落したに致しましてもです、落した事に間違いはないのであるから、この事に対しては真剣なお詫びをさせてもらわなければおられないなあ。
 日頃私が云っておる、親に喜んでもらいたい、親に孝行したいばっかり、と云っておるのにこう云う、そんなら私の信心不徳の為に親に悲しませなければならない、と云う事はこの事だけでも、私はお詫びしなければいけないなあと。
 今日からはその事を通してね、私はしばらくお詫びの信心に入らせて頂く、と云う事を心に思わせて頂いたのですけれどもね、どうぞ皆さん、もう実を云うたら、百の内、そのおかげを落すというところの、十か二十というところ、自分の思うようにならないと云う時こそ、実を云うたら神様が、まゝになっておられる時でもあるのです、願いが成就したという時よりも、それこそ願っても願っても右と願えば左、左と願えば右、といったような時こそ、私共の願いこそかなってはいない時だけれども、神様の願いがどんどん成就しておる時であるから、その辺の御神慮の深さというものは、何故かどうしてかと云う事は分からない、又むしろ分からない方がおかげだと、それが分かったらもう金光教の信心の深さはない。
 そして二十年過ち、三十年過ち、ひょっとすると五十年も六十年も過った後にです、成程あれが、こゝのところですよねえ、神の綱が切れたと云うて、もう神から手を離しておればそれ迄だったでしょう。けれども泣く泣くでも辛抱しながら、神の綱を握り続けたおかげで、十年後に、二十年後になってみたら、こういう深い深い神様の御神慮であったと云う事をね、分からして頂く時期が必ず来るだから、そこんところが分からして頂く事がです、それこそ羽根つきじゃないけれども、又素晴らしい事だという事なんです。
 羽根をつかせて頂くのに、もう絶対落ちないと云うのだったら、馬鹿でん盲でんつけるというのだったら、ひとっつも面白い事はないでしょう、もうそこに前神経を集中しておっても、矢張り落ちるところにです、羽根つきの楽しみがあるように、信心も又私共の思うようになったり、思うようにならなかったりの中に、愈自分の信心の、神様を信ずる力というものがです、深く強くならせて頂く事の楽しみというものは、これはそういう意味に於いての信心をしてる者でなければ味わえない。
 昨夜は久留米の井上さんの所の五十日祭でございました、それであちらは丁度田植えで、町におりながら、あそこは自分の田圃を持っておられますから、田植えがある時はみんなを雇うて田植えをなさる。ですから田植えぎりぎりのところ迄させて頂いて、お供え物の準備をさせて頂いて、もうだから予定の時間より二十分ばかり遅れました。
 それから神餅させて頂きまして、昨日私が五十日祭を仕えさせて頂いて、もう本当に有難いおかげを頂いたんですけれどもね、おばあちゃんが今朝方からお夢を頂いたと、いわゆるアメリカにおられました息子さんが、何十年間という間会うていない、御長男の方が亡くなられたんです、だからこちらでお葬式もなさいますし、十日十日のお祭もこゝでなさいました、そして夕べ五十日祭を仕えさせて頂いて、色々有難い御教えを頂かせて頂いた後に、先生、私は今朝方から面白いお夢を頂いたと、どげなお夢ですかと云うたら、誰かが大根をくれた、ところがそれを川に持って行ってから、綺麗に洗いよったところが、それがどうしたはずみか、流れてしもうた。「こらしもうた」と思いよったら、ひげをはやしたお爺さんが見えてからね、「そんならこの大根と取り代えない、今流れよるとは中が、すのほげとったつばの」と云わっしゃった。だから今度んとが立派だからこれを上げようと云うて、お爺さんが下さったと、それけん、どげなこつじゃろうか、と云われるから、大根ということはね、大きな根と書いちゃる、だから、根とは心、だからおばあちゃん心を愈大きゅうして行かにゃいけんとよと、どうしてじゃろうかてんなんてん事は決してなか、もうみんな神様のおかげとして頂いてです、自分の大きな心を頂いていかにゃいかん。
 今迄大きな心と思うとった心は、中が、すがほげとったから、不平云うたり、不足云うたり、不満に思いよったつじゃから、例えばこの五十日祭を境に、もう本当に神様にも霊様にも、お礼の云えれるような、それは成程親よりも先立つと云う事は、親にとってこんな悲しい事はなかろうけれども、けれども深あい御神慮のある事であるから、心を愈丈夫に深く大きくして、しかも、すのほげたつじゃない立派な。
 おそらくその、髭の生えたお爺さんというのは、教祖の神さまだっつろう、と云うてからお話をした事でした。そういう例えばそんなら、人生の一番悲しいと云うような事に出会っても、その事によって愈心が大きゅうなり、いわゆる中にすのほげとったような心が愈目のつまった有難い、有難いと云う事になれる。
 そういう願いが神様にはかけられておる、だからまあ一つの言葉で云うならば、ある意味合いでは氏子におかげを落させて、力を拾わせたいというのが、神願であるという事を悟らにゃいけません。もうこれ程間違いの無いおかげを頂いてこそ、神様を信ずる力が出来る、その意味合いに於いて、皆さんは有難いと思うですねえ、合楽の皆さんの場合は、もうおかげと思わにゃおられないというおかげを頂いとる。
 それでも、そのような時にです、それこそ神様の心の奥の奥の方にです、場合には悲しませてからでも、おかげを落させてからでも力を与えたいという神願。
 井上のおばあちゃんじゃないですけど、も息子さんの五十日祭を仕え終らして頂いた時には、今迄の大根、いわゆる大きな心、信心頂いとるけんと云いよった心を、もっと本当の、本格的な、本当のものに取りかえて下さろうとする働き、だからおかげを落させて力を拾わせたい、徳を拾わせたいという、その辺のところが分かれば分かる程です、、云うなら百の内十、二十の思うようにならない、言わばそれが裏目に出た、逆さまだったと云う時にです、いかにその事を大事にしなければならないか、と云う事が分かりますね、
                         どうぞ。